村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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『村瀬塾』京都ツアー


どうやら、大好評だったようだ

p1--幾松の女性
幾松の女性

p2--祇園祭の山車
山車の提灯

祇園祭のさなか、塾生たちと京都へ行ってきた。
3日間とも、丁度暑い時期で、皆さんの体力と相談してタクシーで廻ることにした。
これは成功だった。
2日目なぞは、20,000歩も歩いて、皆さんへとへとだったから、あれがあの炎天下、京都の町中をバスや電車じゃあ参ってしまう。

最初に、料亭「幾松」でお世話してくれた女性を写真に載せた。
これでお分かりだと思うが、彼女の笑顔と言い、その気遣いは最上のものだったので、先頭に持ってきた。
あそこは川床で、その佇まいといい料理の味といい絶品だったが、働く女性たちのおもてなしも爽やかで、鴨川の川風と一緒になって、爽快な気分だった。
その分、値段も高かったが。

初日は、壬生あたりだったが、先ず『新徳寺』から始まって『壬生寺』『八木邸』『前川邸』『光縁寺』の順だ。

p3--新徳禅寺2[1]
新徳寺の本堂

p4--壬生寺・近藤銅像
壬生寺

p5--光縁寺
光縁寺

新徳寺は、前回も書いたから改めてコメントしないが、めったに入れないところなので、皆さんご満悦。
壬生寺では、100円玉を入れると、三橋美智也の歌が流れるが、今回の塾生の方々、皆さんで【ああ、新選組』を合唱されていた。
そういう年頃の方が多かったので、素直に声が出ていたのだろう。

八木邸は、僕はもう、本当に何十回も入っている。
その割に入館料が高いので(饅頭込みで1,000円)入りたくないのだが、そういうわけにもいかないので、入る。
それに、最初からガイドが長々と説明する。
ほっとくと、30分は優に超える。
こちらも、先刻承知なので、「15分でお願いします」と、言っているのに、平気で40分は超える。
「もう、そろそろ」と言うと、
「何か、不満でもあるのか」と、怒り出す始末。

お客さんの中には自分のペースでゆっくり、その時代に浸りたくて来てる人がいるのだ。
ガイドは、自分の勉強してきたことを思い切り発揮したいから、その全部を言わないと気持ちの整理が出来ないのだ。
お客の事情なんて、後回しなのである。
八木邸も、もうそろそろ考えてほしい。

前川邸もなんだか、変。
あそこは、正面の長屋門を入るところまでしか、以前から見学できないが、以前は左側に土産屋があって、少しは雰囲気があったのだが、今は、製紙工場になっている。
もともと【紙屋さん】だから、それでいいのだが、商売が先なのだろう。

相も変わらずが、光縁寺の住職である。
門をくぐると、大概はそこに住職がいて、「お急ぎでなければ、ご説明しましょか」と言ってくる。
ぼくも、彼のことはよく知っているので、面白いから、「手短に、お願いします」と言ったら、
「それでは、本堂の方へ」と常套句。
本堂の中央に立って話し始めた。この人の話も長~い。
それが、早口で、半分は聞き取れない。
早いばかりでなく、京都弁が混じるので、江戸っ子には、どうにもわからないのである。
でも、それが滑稽なので、僕はいたずら心で、わざと皆さんに座って聞いてもらった。
想像通り、多くの塾生たちは、「よく、聞き取れなかった」「でも、面白かった」だった。

初日から、沢山の経験をして、皆さん盛り上がった。
何と言っても、この日の夕食、「幾松」での懐石だろう。
その雰囲気ばかりでなく、掛け値なしで、料理がうまい。

p5,5--三条大橋から鴨川
三条大橋から鴨川

2日目の朝一番で、淀へ。
タクシーの運転手、
「淀に、何かあるんですか。私ら、何度も、この競馬場には来ていますが、新選組に関係あるなんて聞いたことがないですわ」

3台のタクシーで10人が分乗していったのだが、3人の運転手全員が、“東軍の慰霊碑“があるのを知らない。
だから、そこを探すだけで、競馬場の周りをグルグル。
僕は、以前に行っているのだが、周りの景色が変わってしまって、探すのに苦労した。
馬鹿でかい駐車場の隅にあるのである。

何とか見つけてお参りし、次に【妙教寺】に向かったが、この寺も地元でも知られていないせいか、見つけるのに大分苦労した。
ここは、本堂の壁が大砲の弾で打ち抜かれているのだが、そこがそのままにして残しているのである。
住職は留守だったが、奥様が出てきて、ご丁寧に様々説明してくれた。
そして、最後に、鳥羽伏見の戦で打ち込まれた大砲の『実弾』まで見せてくれた。
タクシーの運転手、
「へえ~、こんなところに、こういう場所があったとは。いい勉強になりました。
次のお客さんには、教えてあげまひょ」

次に伏見へ向かうつもりでいたが、つい僕が口にしたことで、一緒に言った女性が、「そこを、ぜひ見たい」と言い出した。
そこは、【流れ橋】といって、時代劇の撮影でよく使われるところである。
淀から約20分ほど下流へ下ったところで、本名は【八幡橋】という。
いかにも、黄門さまが、助さん・格さんを連れて歩いていく姿が目に浮かぶような情緒があるのだ。
それから、寺田屋へ一目散だ。
ここは、坂本龍馬が幕府の役人に慶応2年1月23日に襲われ、風呂に入っていたお龍さんが裸のまま飛び出して、急を告げたといわれる有名な船宿である。

午後は、西本願寺、島原へと繰り出した。
島原では、輪違屋・角屋が有名だが、中には入れない。
だが、この時期だけ、輪違屋の中に入ることが出来た。
とても、幸運であった。

P5,55--輪違屋

輪違屋
その後、二条城に行ったが、突然の休みだった。火曜日なので大丈夫なはずなのに。
『殿様商売』なのだ。
急きょ、東山に向かって『霊山歴史館』に行った。
ここも、当初は、竜馬関係の資料館だったが、その後は、新選組一色に変わった。
久しぶりに言ったが、今は、幕末歴史観に変わっている。
あそこは、その時々に合わせて、展示物が変わるところだ。

2日目最後は、霊山前の「維新の道」を下って、高台寺を右に見てその下にある伊東甲子太郎ゆかりの月真院へより、八坂の塔を見ながら坂を下って、池田屋に一目散。
途中、高瀬川をのぼりながら、ここいら辺りで殉難した人たちのお話など、

p6--高台寺[1]
高台寺(月真院)

旅籠池田屋は、しばらくユニオンというパチンコ屋だったが、今は、『華の舞』という居酒屋になっている。と言っても、中は4階もあるビルで、新選組を堪能できるようになっている。

p7--池田屋
池田屋

p8--旅籠・池田屋
旅籠・池田屋

3日目は、女性たちに嵐山に行きたいという希望があったので、朝一で行った。
ここは、僕が、山南さんが自決する日の朝に、沖田君と雪の嵐山という見出しで書いたところであるので、その時のことを説明した。
嵐山は、一年中、いつ行っても気持のよい観光地である。
気分が爽やかになるリフレッシュポイントだ。
帰り道、運転手が気を聞かせて、嵯峨野の竹藪の中をゆっくり走ってくれて、落ち着いた気分を味わった。

そのあと、前日行けなかった二条城に直行した。
だが、京都の夏はとにかく暑い。二条城の庭先で、我ら、ぐったりであった。
旅の最後は、祇園の花見小路、1件の料亭で湯豆腐コースで過ごした。

盛りだくさんの急ぎ旅であったが、充実していたと思う。
これで、我が塾も江戸付近の新選組関連地から京都まで走破した。
次は、会津か函館である。
きっと、良い旅になる。
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2014/08/10(日) 12:12 | | #[ コメントの編集]
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村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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