村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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「高島嘉右衛門」について、講演依頼が来た(2)

あの、「高島嘉右衛門」について、講演依頼が来た―――その2

~~嘉右衛門の父、嘉兵衛は、それはそれは見事な人生を送った人で、この人だけでも、立派な小説やドラマになる人だった~~

天保の大飢饉のさなか、嘉兵衛にとって、南部60万人の民を餓死から救うために様々な難問を抱えていたのだったが、当面のこととして、頭が痛いのはコメの運び方であった。
何しろ、今の佐賀県伊万里港から岩手県の石巻まで、3万石のコメを、当時の木船で運ぶのである。
江戸の時代、最大の船でも1,500石積の帆船と決められていたのだから、単純に考えて、20隻以上の船の手配が必要になる。

これらのことは、南部藩の武士たちに要求しても無理な仕事なので、嘉兵衛自らが鍋島藩の現地へ赴いて、次々と必要な仕事を処理していくほかなかった。
まず、コメを運ぶための船であるが、向こうの廻船問屋に掛け合って、充分な船を確保し、手配を完了させた。
嘉兵衛の仕事の正確さ、素早さ、その実直さを間近かに見た鍋島藩の重役たちは感嘆し、その報告を藩主閑叟にも届けたのである。

果たして無事に、3万石のコメを東北の地に届けられるものだろうか。
途中、暴風雨にでも合えば、全滅である。金の支払いだけは残ってしまう。
神にも祈る気持ちで、嘉兵衛は、身を清める毎日だったのである。

もし、南部藩のこの窮状をしのぐことが出来なければ、お殿様からの厳命に窮余の策を講じることが出来なかったとして、江戸詰めのご重役たちは、腹を切ってお詫びすることになるだろう。
勘定奉行の斗賀沢権右衛門は、顔色を変えた。
江戸に帰った嘉兵衛の支払い要求に対して、
「ちょっと待て、わしも勘定奉行として当藩の財政は誰よりもよく知っている。
米三万石の代金となれば当然、十万両は超えるだろう。だが、それだけの現金は、到底工面できかねる」
「……」
「ない袖は、ふれないのだ…、その時は、我ら三人、腹をかっさばく他には、道もあるまいな」
三人とは、勘定奉行の斗賀沢権右衛門のほか、江戸留守居役瀬山命助、用人照井小兵衛であるが、悲痛な面持ちのうちにも、最後は、嘉兵衛の提案に従うしか方法はなかった。

しかし、嘉兵衛だって、11万両なんていう大金を今、南部藩が工面できないことは百も承知の上のことである。
ただ、後先のことは考えず、コメの工面だけを先に行ってしまえば、大勢の餓死者を出さずに済む。
代金の支払いは、その先どうにかするという戦略だった。

そうは言うものの、さて、どうしたものか。
嘉兵衛だって、これだけの詐欺行為を働いたのである。
金のないのはわかっていながら、先に、コメだけいただいてしまおうという策略である。鍋島藩が許すはずがない。
自分の命はないものと、もうとうに腹を決めていた。

三万石のコメは、無事に、全部が石巻港に安着した。次は、北上川の河船に積み替えて盛岡までだ。これは、そう心配はない。
神の助けがあったとしか、考えられなかった。

天保の飢饉で、秋田藩では20万人の餓死者が出たという。ところが、南部藩では、殆んど犠牲者を出さなかった。それは、この嘉兵衛の血みどろの活躍あったからである。

嘉兵衛は、江戸の鍋島藩の屋敷を訪ねた。
「おかげさまにて、この大役も首尾よく勤め終了いたしました。三万石のコメも一俵残らず無事に石巻まで到着した由にございます。南部藩60万の領民も、鍋島さまのご慈悲に感涙いたしておりますとか。
手前よりも、厚く御礼申し上げます」
用人、成富助左衛門は、
「それはまことに執着至極。ところで、その代金の決済のことでござるが、如何かな」
嘉兵衛の顔には、困惑の色がみなぎった。
「はい、…正米三万石の代金11万両と申されましても、大変な大金でございます。今、南部藩のご金蔵にはその一割もございません」
「なんだと」
「……、如何でしょうか。しかるべき利息を付して長期の年賦払いという条件に切り替えていただけませぬか」
「な、な、なんという話だ」
用人の成富、開いた口がふさがらない。飛び上がらんばかりの、驚きようだ。
「その方、あの時なんと申したのだ。その代金は、最初は国元で船が出港した時に引換払い。その後は、裏を返したように江戸表で一括払いともうしたではないか」
「はい、左様でございます。そうでなければ、このお話はまとまらなかったでございましょう。手前としましても、一生に一度、二度とつけない大嘘でございました。それもこれも、数十万人の人の命を救うためでございます」
「うむ…」
わなわなと、震えている。
「南部藩のご重職方、どなたにも責任はございません。このお詫びには、商人ながら遠州屋嘉兵衛、切腹してお目にかけます。なにとぞ、私一人の命と引き換えに、長期年賦の件、よろしくお取り計らい、お願いいたします」
「うむ…、うむ…、うむ…」
ただ、唸るだけである。

気持ちを静めた助左衛門、
「その方の気持ちは、よくわかった。……、でもな、この一件、わし一人で即答できるものでもない。殿に申しあげてご意を伺うが、しばらくここで待つがいい」

助左衛門、腰を上げたが、直ちに振り返った。
「ただ、念のために申しあげておくが、決して早まったことはするでないぞ。わしが、ここへ戻ってくるまで、この座敷なり庭先を血で汚すことは許さぬぞ」
再び、振り返って、
「くれぐれも、早まるな」
嘉兵衛の固い決意を読み取ったのか、しつこいぐらいダメを押した。

それから半時もたったころ、助左衛門は戻ってきたが、ますます顔の表情は憂色のままである。
「遠州屋、…その方、鼠小僧次郎吉という大悪盗を知っているか。諸大名家に忍び込んでは、多大なる金品を奪い去った怪盗だが」
「はあ?勿論、その名は知っておりますが」
「奴は、今年の8月19日、36歳を一期としてお仕置きにあった。…、そして、次には、河内山宗俊、そして片岡直次郎だ。この二人はどうだ」
「はあ、その二人も知らずしていかがいたしましょう。河内山は先年獄死し、直次郎の方も、今は牢内で死罪を待つ身だと聞いておりまするが」
一体何を言い出すのやら、遠州屋嘉兵衛は狐につままれたようである。
「そうか、それを承知なら、あとは言うまでもあるまいが、その河内山、奴の一世一代の大芝居のことも知っておろうな」
「はあ」
「上野一品親王さまのご使僧、大僧正浄海と偽って雲州松江侯のお屋敷へ乗り込み、松江候のお目にかなった侍女を無傷のまま無事親元へ連れ戻しただけではなく、正体を見破られてから、さらに開き直って、多額の金を出雲家からゆすりとった大悪人だ。殿には、その方をそれ以上の大悪党だと、仰せあった」
「ははあ…」と、畳に頭をこすり付けた。
「処分は後刻決定するが、生前に、一目だけでもその人相を確かめておきたいとの仰せなるぞ。さあ、お手討ちを覚悟の上、御前に参上するがよい」
「かしこまりました」

つづく

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村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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