村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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清水次郎長もいたなあ―――1

まずは
第九とスクリーンミュージック

久しぶりのブログである。
仕事が取り込んでいて、つい、筆が遠のいてしまった。
昨年の暮れは、いつもの『第九』コンサートを行なったが、第1部で大がかりな仕掛けをしたので、僕の生涯でも、記憶に残る大仕事となった。
勿論その分お金もかかり、満席になったが赤字状態で、過去の積立金を大方吐き出してしまうほどだった。

その第1部であるが、今回は、スクリーンミュージックを僕のビッグバンドとストリングスを入れて12曲、演奏した。
150人の合唱団も一緒である。

結果として、お客様からの反響は異常なほど好評で、

「青春時代の良き思い出がよみがえりました」「あの名画の主題曲を生で聴けるなんて、幸せでした」「日野で、こういう音楽が聴けるとは思わなかった」「音楽って素晴らしいですね、落ち込んでいた自分が、よみがえってきました」
と、こんなところである。
その時のDVDも出来上っているが、写真もあるので載せる。
不肖、僕が指揮棒を振っている。
ステージ--a

満席--b

自分の演奏--c
自分の演奏
キャッツよりメモリー--d
キャッツよりメモリー

高島嘉右衛門・中居屋重兵衛・清水次郎長

さてそんな暮れだったのだが、このブログについても気にはなっていた。
ここの所、長い間書いていなかったから、自分としても気持が落ち着かなかったのだが、また、このホームページのトップ画面も古い情報なので、斬新なものに改めたいと管理人に相談していた。
あと、ひと月もたたないうちに、新しいものに変わるはずである。

そんなこんなであったが、さて、本日は、清水の次郎長である。
昨年あたりから、若い頃から関心の強かった『高島嘉右衛門』についてここのコーナーで紹介したが、その後、同じ横浜を作った男として『中居屋重兵衛』も、僕の塾で講義した。
この人も、幕末に横浜で大活躍したのだが、実に魅力的で、もっと世間で騒がれてもいいのに、と思っている。
いずれ、ここで紹介する。

本日は、全く同じ時期、東海道の博奕打ちで山本長五郎という人がいた。そう、清水港の次郎長の話である。
この人は、やくざの大親分ではあったが、大変な人気者であった。それは、映画や読み物で大きく取り上げられたから人気が出たといってよい。
だが、ここでは、実在した人物として、稀有な実績を積み、それが社会貢献としてとてもやくざ者とは思えないほどの良績を残している一面を紹介したい。
ただ、それは、彼の後半生のことであり、前半は、どこにでもいる博奕打ちの侠客であった。

きっかけは、勝海舟

僕がこの人に興味を持ったのは、26歳の頃であった。
あの頃、NHK大河ドラマで『勝海舟』が放映されていて、最初は主演が渡哲也だった。
だが、彼は、放送が始まってすぐ病に倒れてしまい、代わりに松方弘樹が勝を演じた。
長崎の勝の恋人で『お久』という人がいた。
この時、大原麗子が演じていたが、なんて声の魅力的な人だろうと思った。その人は、今はもういないが―――。
これを見はじめて、僕は、勝の生き方に大変感動し、直ちに子母澤寛の『勝海舟』を買ってきて読み始めた。
ここで、僕は、幕末という時代の大勢を知ったのであった。
勝と西郷、そして坂本龍馬との関係を知った。
また、その周辺にいる人物も知ることとなり、その後の僕の人生に大きな影響があった。

幼い頃より、近所のお下がりの映画館で、東映の時代劇を見て育った自分だから、当然「清水一家」や「忠臣蔵」「新選組」は大好きな演目であった。
でも、子母澤寛の勝海舟の小説の中で教えてもらったのだが、次郎長が勝に協力して、そんなに活躍したなんて、知らなかった。
勝の幕臣の弟分に当たる『山岡鉄舟』と次郎長との深い絆も、すべてが頷けてくる。

徳川本家は、慶応3年の暮れには、事実上崩れ去っていた。
というより、正確には、徳川幕府の方である。これは、政治体制として、大政奉還があって、その後の王政復古の大号令で完全に消滅したと言ってよい。
だが、徳川の将軍家はどうだろう。
これが、問題なのである。
鳥羽伏見で戦があり、四境戦争に続いて連戦連敗の徳川にはすでに、浮かぶ瀬はなかった。
だから、15代将軍と会津中将の容保は、手に手を取って、大阪湾に遊弋していた“開陽丸”を奪って江戸へ逃げた。

「戦」に負ければ、野に下るだけ

関ヶ原の戦で徳川が勝ち、豊臣を完全消滅させて栄華を誇っていた徳川であったが、260年経過して今度は負けた。
ただ、それだけのことである。

だから、体制が変わるのである。
だが、それまでの歴史と少し違うのは、薩長『西軍幕府』として権力を誇ったのではなく、今度は『日本国』となった。
廃藩置県後、幕藩という大名としての独立国家はなくなった。

官軍側は慶応4年1月、この慶喜に追討令を出した。有栖川熾仁親王を総督に西郷をはじめ参謀たちが東へ東へと東海道を江戸へ目指した。
だが、この時まだ、徳川家への処分は決まっていなかった。戦争で負け慶喜は上野寛永寺で謹慎しているのだから、藩主(慶喜)は切腹、お家断絶、領地没収でも文句は言えなかった。
浅野家と同じ運命である。
だが、この場合には、ここからさらに大きな犠牲、血が流れることになる。江戸は火の海になるだろう。西郷は、そうしたことにはしたくなかった。
勢いづく兵隊たちを抑えながら、しかし時にはガス抜きもさせながらこの戦を終結させなければならなかった。

勝海舟は、この時、徳川家の大参謀の地位にあったから、官軍の西郷と渡り合い、有利な条件で徳川家が存続できるよう交渉したのである。
そのために、3月初旬、山岡鉄太郎を駿府へ勝の名代として送った。この時、先方はすでに小田原に達していたのだが、西郷隆盛はまだ駿府にいた。
東海道を小田原から箱根を抜け、三島から沼津、由比、府中(駿府)に至るには、勢いづいた官軍の陣中を突破しなければならない。幕臣の山岡一人では、到底行きつけるものではない。
だから勝は、助っ人として薩摩人益満休之助を伴に付けた。

だが、この益満は、三島あたりで病に倒れ、鉄太郎一人で突破しなければならなくなった。

東海道の難所、『サッタ峠』

由比の海岸沿いの光景は、東海道でも優れて素晴らしいので、様々な観光資料で紹介されているが、ここの海岸線は、新潟の親不知などと並んで断崖絶壁の難所である。
だから、江戸の時代には、海岸沿いに歩くことは困難なので、すぐ上の『サッタ峠』を超えることになっていた。

由比海岸ーーー1

由比海岸ーー2

由比海岸ーー3

富士川を渡って蒲原、由比に来たころには、夕闇が迫っていた。山岡鉄太郎は、1人でサッタ峠を上っていたが、暗闇の中から突然怒声が聞こえた。
「止まれ!」
とても突破はできないと判断した山岡は、直ちに引き返して峠をおりはじめた。
官軍は、引き返す鉄太郎を容赦なく背後から射撃してくる。
命からがら逃げ延びることが出来た山岡は、一軒の宿屋に飛び込んだ。

次郎長と山岡との出会い

ここは、松永家が代々営む『望嶽亭』であり、サッタ峠の登り口にあった。その当時の当主松永七郎兵衛は、事態を敏感に悟って直ちに奥の座敷に隠れさせ、追手が迫って来る前に山岡を漁師の姿に変装させた。

【その時、山岡が所持していたフランス製の十連発小銃は、いまだ望嶽亭に、大切に保管されている】

山岡鉄太郎のピストル――_
山岡鉄太郎のピストル

現在の望嶽亭入口――_
現在の望嶽亭入口

秘密の階段――_
秘密の階段

鉄太郎の隠れた蔵座敷――_
鉄太郎の隠れた蔵座敷

官軍の探索をうまくすり抜けた望嶽亭の当主松永は、下僕の栄兵衛に命じて、秘密の抜け道を通らせて山岡を海岸まで案内し、一艘の小舟で清水港まで送り届けた。

松永から手紙をもらっていた次郎長は、自身が山岡を案内して無事、西郷のいる駿府伝馬町『松崎屋源兵衛』宅に案内した。
ここから、あの有名な西郷と勝の「無血開城」へ話が進むのである。
(次郎長=長五郎は、まだ10歳にも満たない幼い頃、由比にいる義母の実家や縁続きにたらい回しにして預けられていた。
その当時、松永家19代当主嘉七は、長五郎の面倒をみていたから、義理があるのである)

この話が実話なのかどうか、よくわからないが、そのピストルがいまだに残されているということから、大筋は本当なのだろう。
次郎長が案内したかどうかについても不明だが、その後の山岡との深い絆を想うと、あってもよい話のように思えるが。


次回へつづく
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村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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