僕の作品を読んで、読者の方から『歳三の語り口調』について、お小言をいただいた。
「一貫性がない」と。
その通りで、実は書いた自分でもそう思っている。
というより、わざとそうした。
そうせざるを得なかった。
『人間土方歳三』というあの物語は、歳三が箱館で、市内の大店42店舗の店主や手代を前にして、自己の半生を振り返って語っていくという設定だ。
出席者の大方が歳三より年恰好も上の人だったはずだし、分別をわきまえた土方歳三のしゃべりは『丁寧語』でなければならない。
しかし、ずっとその調子で書いたら面白くない。
歳さんの味が出ないのです。
彼は日野の出で、青年期は江戸に出ている。
基本は日野弁でそれに江戸弁がミックス。
京都では、各藩や公家などの重鎮と接触することもあったわけだから、敬語や武士に相応しい言葉遣いもしたはずだ。
だから、その場その場でいろいろな語り口調になってしまう。
一番自然なのは、隊内で、自分の部下に対して言い放つときのしゃべりだろう。
でも、僕は、京都で、敵ではあっても官位や種々の実力を持った相手に、「礼」を持って接するときの歳三の態度が好きだ。
僕の本の中では、この部分はそう多くはなかったのだが、市中見廻り中に出くわした相手には、相応の丁寧な言葉遣いであったと確信している。
土方歳三という男、利口な人だから。
武士の出でないだけに、わざわざ武士に対しては対等以上の威厳を放つ。
丁寧で、へりくだりさえ伴う。
「新選組」とは、決して、野放図で野蛮な集団ではないぞと、周囲に印象付けていたはずだ。
近藤さんとの会話は、どんなものだったのだろうか。
相手は局長である。
京都では、常に局長を立てて、自分は黒子に徹してきた。
控えてきた。
でも、日野の佐藤家で初めて出くわしてから、ずっと、兄弟分の中だった。
随所で、様々な呼び方をしてきていたに違いない。
近藤も、歳三に対してどのような口調だったか興味が湧く。
彦五郎の妻おノブさんの弟だし、それでいて天然理心流道場主の食客という存在でもある。
「歳さん」だったり「歳」だったりだろうと思う。
歳三は近藤を「近藤さん」を基本に、「勇さん」とか「勝五郎さん」だったに違いない。
決して、「かっちゃん」とは言わなかっただろう。
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僕は、すらすら書いていったのですが、出版者の方や試し読みしてくださった方々から、様々な意見、ご批判などが寄せられました。
近藤さんに対する口調、また悪口。僕は悪口として書いたつもりはないけど、そのように読めてしまうところがあるらしいのです。
土方歳三は、外に向って近藤の弱点をいうはずがないと。
そうだったかもしれませんね。反省してます。
でも、ひとつだけいいわけ言わせてもらいたいのです。
「本当の近藤像」というものを、僕は表現したかった。そして、それを歳さんの口から言って欲しかったというのがあります。
だから、言わせた。
それは、局長の恥の部分だから、副長が世間に対して言うはずがないと、言われた。
う~ん、そうか。
箱館の土方は、本当のこと、史実を吐露し始めた、というコンセプトで進めましたので、お許しいただきたいのです。
だって、皆さん、本当の近藤さんを知りたいじゃないですか。
僕だって知りたい、だから書いた。
最初から、理屈っぽくなってしまいました。
実は、この7月から職場が変わって、毎日がてんてこ舞いなのです。
だから、ブログを書いている時間がない。
自分でも欲求不満気味で、あなたのコメントから、今、噴出してしまっている状態なのです。
御免なさい。
30日の石田散薬のツアーが終わってから、思い切りブログを書きます。
コメント、有難う。
土方さんの語り口調、興味深く読ませて頂きました。
賢い土方さんのことだから、その相手、立場、状況に応じて口調を変えていたと私も思います。
外部の人間に対しては、もちろんそういう配慮は欠かさなかっただろうなーというのは想像しやすいのですが、内部の人間に対してはどういう口調だったのかな?と想像(すでに妄想?)し始めると、面白くて止まらなくなりますね(笑)。
たとえ幼馴染であっても、新選組・局長である近藤さんに対しては、こうだったのかな~とか。
いつ、どこで誰が聞いてるか分からないし。
山南さんに対してはどんな感じだったのかしら、とか…。
だから、総司のことを「奴は…」と言って語り始める土方さんを読むと、土方さんにとって総司の存在というのは肩肘張らずにいられる貴重な存在だったのかな、なんて考えちゃいます。
改まった口調ではなく日野&江戸弁丸出しで、壁を作らずに軽口をたたける数少ない間柄。
単に、いたずらばかりするやんちゃな弟って感じで、「しょーがねぇなぁ…」なんて言いながら話してたのかもしれませんけどね(笑)。
考え始めると、ホント止まらなくなります。
興味は尽きませんよね。
歳三の髪型のことですが、私もそう思っていました。
ロングヘアーに着流しの美男は、絵にはなりますが、実際の歳三は軽く見られることのないように、外見には相当気を配っていたのではないでしょうか。
髪もきちんと結い上げて、ポニーテールではなかったと思います。
(勿論、栗塚さんや山本さんのカッコよさを否定するものではありません。)
ただ、仙台では「髪をなごう振り乱してある一個の美男子…」というような評を受けていますね。
オールバックできめた写真のイメージとちょっと違う気がします。
短い髪は伸びるのが早く見えますから、療養中などは、ロン毛着流しに近いときもあったかもしれませんね。
以上、勉強不足の素人見解ですので、来月になってすっかり変わっていたら、ご容赦ください。
只、僕はいまだに迷っているのですが、「歳三は本当に武士になりたい」って思っていたのだろうか、てこと。
土方家には、そのように伝わっているのですが、利口な男だけに、早々に武士というものに見切りをつけていたのではないかと思ってもいるんですよ。
だって、百姓上がりが武士になりたいからって、京都で凄惨な殺戮を繰り返すなんて、すでに何百年も武家に育ってきている人たちから見れば、侮蔑の対象にするに決まっています。
だから、さんざん水戸藩の連中に新選組は馬鹿にされてきた。
いや、実は、徳川も、あの会津もーーー。
土方はそんなことは百も承知。
ゆえに、「大義」とか「誠」などを大事にしていたのではないかと、僕は今のところ思っています。
僕の本では、『明保野亭事件』を冒頭に持ってきていますが、のっけから歳三に、日本古来の武士道というものに疑問を持たせています。
土方歳三が、武士になることに「あこがれていた」という表現をされる人が結構大勢いるんですが、僕はそう思いたくない。
だって、土方という人物が小さく見えてきてしまうからなんです。
年月を重ねるうち、歳さんは、自己の『生き方』を探し始めていたのではないかと思うのです。
特に、近藤さんを失ってからは。
新選組はわからないことが多い。
だから、断定的なことはいえない部分が多いですね。
あくまでも今の僕の考え方で、来月になると、少し修正が入るかもしれない。
そんな戯言として、聞いてください。
土方の語り口にかんする村瀬さんの考察、しかりですね。私も、土方は、そつなく使い分けていたはずだし、できるだけ丁寧な言葉遣いを心がけていたと思います。
近藤に向っても「かっちゃん」ではなかったはずです。本来は若先生でしょうし、幼馴染としても、近藤さんか、勇さんと言っていたと私も思っています。大河のなかでも「かっちゃん」が許せたのは3話くらいまでですね。
実は私には、絶対違うよということがもう1つあるんです。よく、女性のイラストやマンガで、髷を結ってないロングヘアで着流しの土方が書かれていますが、これ、受け入れられない。武士に憧れた人だから、絶対に姿かたちから武士をまねたはず。なら、髷はちゃんと結うだろうし、袴をつけたと思うのです。他の人がリラックスした姿で書かれるのは、気にならないのですが、土方だけは、気になるのです。いかがなのでしょう。
お恥ずかしい限りですが、書いていてものすごく『気』が入っていた。
あの原稿が書きあがってから、一番先に栗塚さんに送りました。
数日して本人から電話が入り、「泣けました」といってくれた。
だから、ご本人に了解もらって、帯にそのまま「3回泣いた」と書かせていただいたのです。
『箱館での一夜語り』
鴻池支店の手代、大和屋友次郎の質問に答える形で物語りは進んでいきますね。
友次郎が、歳三の信奉者だったことはすでに知られていますし、日野の佐藤家に友次郎からの手紙が現存しています。
だから、あのような宴席は『ありうる』と設定してしまいました。
いや、あったに違いないと。
妓楼『武蔵野』は実在していましたし、官軍の総攻撃が行なわれる前日に、榎本以下幹部たちが最後の宴を張ったのも事実です。
そう考えると、あのような宴会が行なわれることの方が自然だと、僕は思っているんですよ。
次に、『八千穂のキャラ』
八千穂さんは、今、京都の宮川町に行けば、立派に芸妓さんとしてご活躍しておられます。
この人、変わった素性でして、関西の大学出なんです。
彼女のいる置屋に通って、そこのお母さんという方に京言葉を指導していただいて、八千穂の語り口を作り上げました。
最初は僕が、東京弁で書いたものを送って、京言葉に変換したものを返送してもらいました。
何回も往復しましたから、そのお母さんも大変だったと思います。
だから、あの、土方と八千穂の語りはとっても意味のあるものなんです。
本当に、宮川町に実在している芸妓さんなんですから。
八千穂さんの本当の字は『弥千穂』が正しいのですが。
あの、キャラは作りました。
土方という人は京都で、あの当時、殆んど怖いものなぞなかったのではと思えるほどの勢いがありました。
それ程の権勢を誇っていた。
そしてあれだけの男前です。様々な女が寄ってきたということは、あったと思いますね。
それだけに、普通の女には惚れない。
じゃあ、特別別嬪の芸妓に入れ込むかと思うと、意外や、決して美人ではないが、勘が鋭く先が読めるタイプで、ズバズバ相手かまわず言ってのける女に関心を持ってしまった。
京都では、土方に真正面からものをいう人は誰もいなかった。誰もが、出来れば避けて通りたかった。だから、本音でものを言ってくれる人なぞいなかったと思います。
思ってもいなかった芸妓に、誰はばかることもなく、土方にものを言うのがいた。
歳三は、彼女の言い分を聞いているのが好きだった。心地よかった。
一見たわいもないようなことを言っているようだが、実は、天地がひっくり返るようなことを含んでいる。
歳三は、あの当時の志士たちの誰にも引けを取らない、この女の『大きさに惚れた』のかもしれません。
幕末には、勤皇芸者というものが出現しましたが、桂小五郎の恋人幾松のように、皆、侠気があったようですね。
誰かさんに言われました。
この八千穂という人、村瀬さんの理想なんじゃないのって。
『ドキッ』
ここから先は、なしにします。
あっ、山南さんが切腹する直前の〈渡月橋の花嫁〉も、もう一度読んでくださいね。
あそこも、すっごく気合、入れたんですよ。
そして、自分がとても気に入ってるシーンなのです。
よろしく。
私がお訊ねした「君菊」改め「八千穂」、しっかり登場してるんですね!「わあー」と思いました。そして、質問したときに「実は私の著書に出ています」と即答しなかった村瀬さんの奥ゆかしさを、今になって気づきました。
構成がとても新鮮でした。歳三の「秘め語り」、なんだか語り口がリアルなんです。かっこよくもないけれど、もしこういう場があったんなら35歳の土方はこんな風だろうな・・・みたいな。
沖田、近藤、井上、への思いが章立てになってるのも好きです。今まで読んできた土方歳三よりかなり等身大な感じで、帰るわけにはいかない故郷への思いとか、新選組への関わり方など、リアルな感じがしました。
あとがきに「ほとんど史実ですが、いくつかは私の創作物語も加えてあります」とあります。こんな大胆なこと、どの作家さんも書いたことないですよね!普通「史実をベースに私の物語を作り上げた」として、美化、劇的演出、架空人物の作成などし放題(それはそれで良いけれど)なのに、足で調べて史実に近づこうとしたことは、あえて困難な道を選択したということで、尊敬します。
ちょっとお聞きしたくなったのは、「函館での一夜語り」と、「八千穂のキャラクター」の部分は創作か史実か?ということです。営業秘でなければ・・・。
一番好きだったのは、序盤に五兵衛新田で、終盤に流山でと2回ある(構成上成功してると思います)、近藤と二人で語り合うシーンです。
近藤はいろいろ欠点はあってもやはり歳三の「青春のヒーロー」だったということ、その彼が死を覚悟して「土方ばかりでなく全てを必要としなく」なったことにより、彼を喪失する歳三の哀しみが切々と伝わってきました。(この二人の関係の描き方が私にとってはすごく大事なのですが、納得です!)
また何か思いついたら感想書きたいと思います。愛のこもった作品、ありがとうございました。
沖田総司、彼との会話ですか。
僕の本の中でも、総司と歳三との会話は多くはないですね。
なぜかなあ。
総司は、とっても利口な男で、口数が多くない。
話し始めれば、語るのですが、本人は一番隊の隊長としての自覚がある。
だから、語らないのです。
副長が、教養や理屈の嫌いなことは十分知り尽くしているし、新選組というところは議論のあってはならないところだということを熟知している。
副長助勤筆頭の自分が「論」を持ってしまったら、この組織は終わってしまうことを理解しているというのが、僕の考え方です。
だから、周りで議論が始まっても、自分は参加しない。
只、ニヤニヤしてみているだけ。
でも、それだけじゃ面白くないから、本の中では、『石田散薬』という物語を挿入して、しゃべらせました。
あなたが指摘されている土方像、僕も土方に対する考えは同じですね。
例の、慶応3年10月に江戸に戻ってきたときの威厳、風格はその通りですね。
よいコメント有難う。
TPOに応じて語り口を変える、土方歳三…想像すると、彼の様々な面が見えてくるようで面白いですね。
奉公先は、お洒落なアパレル系(?)ですから、間違えてもお国言葉は使わなかったでしょう。
隊士募集に江戸に下ったときなど大名に見るほどの風格があったといいますし、自分をその場にもっとも相応しい状態に演出できる才能を持った人だったように思います。
私が気になるのは、歳三と沖田総司との会話です。
作者によって比較的バリエーションのある近藤勇との会話に比べて、総司(一応敬語)のペースに巻き込まれ気味な歳三、というパターンは、どなたが書いてもほぼ同じ…ように感じるのですが、実際はどうだったのでしょうね。