村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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石田散薬作りから沖田総司、そして山南敬助

去年に引き続き、今年も石田散薬作りを行っているが、ついさっき、沖田総司のことが頭をよぎった。

昨年の今頃は、僕の作品の追い込みで、最後の箱館のシーンを考えていた記憶があるが、あとで石田散薬の話を突っ込んで仕上げたのを思い出した。
新選組というと、自害したとか逮捕したとか粛清したとかの殺伐な話が多く、ほっと息をつけるような、また微笑ましい話が少ない。
というより、ほとんどない。
だから、何か笑えるような面白い話はないものかと常々考えていたのだが、こうなると沖田君に登場してもらうほかはない。

沖田総司は言うまでもなく、剣は超一流。
江戸にいたころは試衛館道場の師範代を勤めたほどの腕前で、不遇な幼少時代であったが、剣筋に天稟の才を認められて11歳で近藤周助の試衛館に預けられた。
ミツ、キンの二人の姉とともに日野で育つのだが、井上の源さんとは姻戚関係にあたる。
日野育ちだけに、歳三や源さん、近藤などとの同郷意識が強く、副長助勤筆頭、一番隊隊長で新選組の四天王に数えられる。

肩幅が広くて背丈も土方と同程度、おまけに気性も荒いほうだと日野では伝わっている。
この気性というのは、剣術の稽古のときなぞは、相手がどんなに下手であっても手加減しなかったと地元に伝わっている程で(日野で)、みなが総次郎との稽古を嫌がったといわれている。
もうひとつ言えば、色黒で目が寄っていてヒラメ顔だったともいわれていて、爽やかな青年剣士沖田君のイメージを壊してしまう逸話になっている。
でも、何より、写真が残っていなくてよかった。
(近藤さんは、どれだけ損をしているか?)
(土方は、どんなに得をしているか)

だが、沖田は隊内で常に冗談を飛ばすほどの明るい性格だったとも伝わる。
そして、何よりも、鬼といわれた副長にズケズケものを言ってしまう性格であったとも。

だから、石田散薬作りのシーンでは思い切り冗談ぽく、沖田君に活躍してもらった。
総司の発案で、慶応元年夏、新選組は嵐山に『暑気払い』を行ったのだが、その帰り道で歳三が牛額草を見つけ、隊士達に命じて刈り取らせる。
一行は、渡月橋を西へ渡って松尾大社の際を左へ折れて四条通に出るのだが、桂川沿いに流れる用水の中にその草を見つけるのである。

数日後、屯所の西本願寺北集会所の裏手で、汗をカキカキ額にねじり鉢巻で土方の指導の下、隊士達は石田散薬を作った。
合間合間で、総司が茶々を入れるという設定なのだが、総司自身、日野にいた頃、石田散薬の製造工程を見て知っていたからである。

実はこの場面、僕は空想で作ってしまったのであるが、今になって無責任のような気がして、この夏、あの行程を実際に歩いて見ようと思っている。
今ちょうど、京都国立博物館で坂本龍馬展もやっていることだし、おりょうさんの専門家として名高い学芸委員の宮川氏とも、久しぶりで食事でもしたいからだ。

だが、ここで、もうひとつのことが気になってしまった。
なぜ、総司の発案ということに、したのかってことだ。

僕の本をめくってみると、この『石田散薬』という小見出しの前に『渡月橋の花嫁』という小見出しがあった。
これは、山南さんが雪の嵐山で総司と最後の別れを惜しみ、その日のうちに切腹して果てるという内容なのだが、そのことが尾を引いていたのだった。

総司の中では、山南さんが死んで半年たった慶応元年夏の時点でも、
山南のことが忘れられず、最後に二人で語ったあの嵐山で『暑気払い』をしたかったのかもしれない。いまだ、山南は新選組の一員であり、総長なのであった。

日野の佐藤家に残る沖田総司の手紙は、『山南兄』という文字を書いてその死を伝えているが、土方歳三も近藤勇も郷里への手紙には一切、そのこと(山南切腹)には触れていない。
沖田のみが、手紙に書いていた。
しかも『兄』と表現している。
僕は、江戸の試衛館時代から、総司は山南敬助を兄のように慕っていたのではないかと思っている。それだけに、兄を失った総司の落胆は大きかったに違いない。
多くの作品は、沖田が山南の首を落としたことになっているが、僕は作り話だと思っている。
恐ろしすぎる。
あまりに悲しすぎる。
それに、山南の名誉のためにも、脱走なんてことありえない。
『自害』である。

『梅雨が明けた慶応元年六月の初旬、うだるような京都の暑さの中、総司の提案で涼を求めて嵐山に遊んだことがあった』と、僕は、無意識のうちに書いていた。
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コメント
もまさん、沖田についてですが
サッカーの選手ですか、
そうですね、そんなところかもしれませんね。

剣術に才能があったのですから、おそらくフットワークが軽かったでしょう。
サッカーで、自由にボールを操るあの動作のように、軽快で意外な動きさえする。
それでいて、突きが目にもとまらぬ速さで、敵の顔面に襲い掛かる。
多分、相当、恐ろしい剣ではなかったのかなあ。

だから、日野へ来て、指南しようとしても、怖くて誰も稽古をしたがらない。手加減というものがない。

それから、あのヒラメ顔。
あれはおミツさんの子孫の『要さん』をモデルにして書いたものらしいのですが、多分、本当の総司とは大分違うのではないでしょうか。

いづれにしても、写真がないのが残念ですが、逆に、それでよかったのかもね。

剣筋が荒っぽく、色黒で、筋肉質で、土方歳三にもズケズケものをいう。
また、冗談交じりのかなりの饒舌。
そして、壬生辺りでは子供を相手によく遊んでいたと証言されています。
また、女性には淡白だった?

僕には、どんな青年だったのか、なかなか想像できない。
今で言う、どんなタイプなのかなあ。
誰か、芸能人でもスポーツ選手でもよいですから、「あの人みたい」に教えてくれるとありがたいが。
2005/08/07(日) 01:00 | URL | 村瀬彰吾 #VvKxtd/k[ コメントの編集]
石田散薬
ツアーでは大変お世話になりました。
私は「いいとこ取り」コースだったので、洗ったり干したりの苦労は知らずに済みましたが、刈り取りの真似事をしただけでも、小説のこのシーンがずっと生き生きと感じられるようになりました。
こちらの描写によれば、作業が更に大変なのは、次回のようですが…。

沖田総司ですが、色黒で背が高くて運動神経がよくて性格が明るい…というと、今なら爽やかなサッカー選手などを想像してしまいます。
あの福助顔の肖像?は、やっぱり違うのでしょうね。

2005/08/06(土) 23:42 | URL | もま #tHX44QXM[ コメントの編集]
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村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
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