村瀬彰吾がつづる新選組話題を含む日記&エッセイ。

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謹賀新年。「歳三、最期の一日」必ず見よう

元旦の朝は心地よい。

除夜の鐘が鳴って、午前零時になって新年がやってきても、どこかまだ『紅白』の音が耳に残っていて、大晦日の気分だ。
『行く年来る年』で大分消されているのではあるが、あの馬鹿騒ぎ(?)がまだ残っている。
出演者の殆んど全部が、「男が勝とうと」「女が勝とうと」どうでもよいことだと思っている。
観ている視聴者も同じなのだ。
ナノに、相変わらず、今どっちが優勢だとかで、あんなこと繰り返している。
みのさんまで。
高額所得者、あの人こそ、コマーシャリズムの象徴なのかもしれない。
審査委員も、付き合うのに楽じゃない。
ところで、映画監督の山田さん、あの人も本気で採点などをしたのだろうか。
歌番組はいいとして、男女が争うの、もう、よしたら。
みっとみないよ。
耕史さんは正直もんだから、いまひとつ乗り切れていなかったような気がする。そこが、いい。
だから(?)、「前川」を「山川」といった。
これが、またいい。
あの人、顔が童顔なのに、自己主張がはっきりしている。
僕は、土方歳三とは離れて、役者としての耕史さんに期待している。
高倉健さん。いい役者ですねえ。もう75歳になるんですね。
感じさせませんね。

午前零時を迎えても、なんとなく、大晦日の延長でしかない。
だから、(紅白を)いつもは見ないようにしているのだが、去年は耕史さんが司会に出るので(それとナカマユキエ)、見ないわけには行かなかった。
本当のお正月らしさは、ひと寝入りしてから元旦の朝、外へ出た時の、あの冷たい空気の爽やかさを感じてからだ。

僕は杉並区の西荻窪に育って今は日野市に住んでいるが、『ズーと』同じ感覚を持ち続けている。
これは、元旦の朝の、あの独特な静けさにあるのかもしれない。
なんてたって圧倒的に、車の数が少ない。
人通りもないのである。
静寂なのである。
だから、幼少の頃、外で羽根突きなどをやっている人の声などが聞こえると、あの羽子板でカラフルな羽の玉を打ったときの音が近所中に響いて、その音だけでお正月なのであった。

近年は、その羽根突きの音なぞ聞いたことがない。
最も、僕の幼少の頃は、まだ伝統的な子供の遊びってモノが随分と残っている時代だったから、べえゴマや凧揚げだって当たり前のようにやったものだ。
最近の子供たちは、お正月に何して遊んでいるのか。
あっ、そうか、自分の子供を見ればいい。
ゲームとかテレビを見ていた。
独り部屋に閉じこもってしまって、近所の子供たちと遊ぶ、コミニュケーションを交わすってことがない。
自分の子供でさえ、そのようにしか躾けられなかった僕だから、他を批判することは出来ない。
でも、うちの子だけが羽根突きや凧揚げって訳にも行かないし。
これらは、なんにつけ、日本の伝統的な美しさ、よいものをぶち壊していってしまうような危機を感ずるが、年のせいかーーー。

僕は毎年、両親のお墓が池上本願寺にあるので、初詣がてら墓参りをすることにしている。
この習慣は随分と前からのものなので、うちの子供たちも、お正月はソレをするものだと思い込んでいる。
最も子供たちは、うちの親戚が集まるので、お年玉が目的で行きたがっていたのだが。
その子供たちも高校生になって、バイトもし始めている。
もう、お年玉を貰う年齢ではないのだ。

その子供たちが、気合を入れて午後7時すぎからテレビを見始めた。
そう、『土方歳三、最期の一日』である。
勿論、僕だって見た。
感想。
ウーン、あえて言わない。
皆さんの方から、先にご発言して欲しいからだ。
今日は先行してハイビジョンでやっていたのだが、正式には総合テレビで3日の9時から放映する。
その後に、正式にコメントすることとなるだろう。

でも、ちょっとだけ。
三谷さんの脚本。
どこか、僕の本に似ているんだよね。というと、生意気かな。
じゃ、逆でもいい。
僕のが似ている。
だとしても、決して僕は三谷さんの原稿を見てから本を書いたわけではない。
偶然の一致ということになる。
僕の、あの『人間土方歳三』は、既にお読みになられた方はご存知のように、箱館の料亭【武蔵野】において、土方歳三が過去を振り返って吐露すると言う展開だ。
今日の続編でも、この料亭が映し出されていて、大変興味深いこととなった。
なんだか、映像で映し出された妓楼と僕がイメージしていた武蔵野とよく似ているので、気味が悪いくらいなのだ。
それと、あの《誠》の旗。
今、当歴史館に展示してあるそのものが映し出されていた。
そして、例のあの、箱館湾のジオラマ。
詳しいことは、3日に皆さんがご覧になってからにするが、土方歳三が持ち歩いている、あの青い小紋の柄の刀、あれも今、当館にある。
そして、コルクーーー。

この【武蔵野】は、実際に存在した料亭兼妓楼なのだが、今の八幡坂あたりにあった。
丁度、イギリス領事館の右斜め上辺りか。
その後は宝来町に移転して後、消滅したと現地にシナハンしたときに聞いた(シナリオハンティングの略。業界で言う)。
これから箱館に行く予定のある人は、是非行ってみてほしい。あの辺りは、新選組にそして箱館政府に縁のあったものが多い。
ゆっくり探索して欲しいのだ。

箱館というところは不思議な街で、ヘンな発展の仕方をしている。
僕が始めて、高校生の頃、修学旅行で行ったときとは大分、様変わりしてしまった。
あの頃はまだ、駅前は相当の繁華街で、賑やかな街並みであったのだが、このごろは人がいないのである。
こうした現象は地方の各地で見られる現象で、駅前なのになぜか寂しいのである。
お店は、大概午後6時にはシャッターを閉めてしまう。
それだけならまだしも、このごろは2割から3割程度のお店が閉まっているのをよく見る。
だから、街全体に活気がない。歩いている人も少ない。
一極化現象がいけないのか。他に何か原因があるんだろうか。

函館駅も、随分と近代的に変わった。
これが良いのか、よく分からない。
でも、少なくとも、あの京都駅については正直言って『残念』だ。箱館駅も新しいのは良いが、僕は好きになれなかった。
以前の、何か古くてさびれていて、青函連絡船の連絡口で北海道の入り口。
冬の北海道をイメージさせてくれる象徴的な存在の駅とは、大きく様変わりしてしまっていた。
駅を背にして右方向、つまり、箱館山のほうへ向かうには市電がよい。いまだに路面電車で、味わいがある。
これは、なくして欲しくない。
どんなに経済優先の世の中に変わっても、日本全体から全く路面電車をなくすようなことはしないで欲しい。どんどん減ってきている。長崎、鹿児島、高知、路面電車の街なのだ。

若い人にはどう感じるのかわからないが、僕には郷愁さえ感じる。
何故?
わからないが、高校の頃、あの新宿の歌舞伎町から都電が出ていて(確か13番から15番線まで3本走っていた。
そのうちの13番に乗って牛込柳町で降りた。そこが僕の高校だった)、毎日通っていたのだが、偶然試衛館のあるところだった。
フジテレビだって、お台場に移るまでは、ズーと河田町にあって僕の高校とすぐ隣だったから、社員たちは皆あの都電に乗っていたはずだ。
勿論、その頃は新選組のことはどうでもよく、半分平凡パンチ・VANやJUN/ヴァイタリス/で半分ブラバンでクラリネットを吹いていたから、興味が違ってはいたが。
何のことだかわからない人が多いかもしれないが、説明は省くから、想像して欲しい。
つまり、団塊の世代のつまらない独り言として。

話を箱館に戻す。
う~ン、市電に乗ると10分ぐらいで十字街という交差点にくる。
この手前で、あのレンガの倉庫群が見事にお土産屋に変身している姿を見ることができる。
大変な人で賑わっている。魅力のある一角に変貌している。
そのレンガの向こう側が箱館湾で、その辺りも若い人向けの雰囲気に変わっている。
どこか、小樽の運河の雰囲気に似せてるような雰囲気もするがーーー。
でも、ソレは市電に乗って右側だけのことで、左側は気の毒なくらい淋しい街並みなのだ。
空き地も多い。見るからに死んでいる。
ここが、あの箱館?といいたくなるほど、気の毒なのである。
ただ、あまり現代的に発展しない方がいいとも言える。
いい環境がそのまま残っているからだ。
このチグハグさが、いいのかもしれない。
今年、やっぱり、みんなで行こう。

駅を背にして、正面を行くとすぐ、松風町という交差点にぶつかってしまう。
そこを左に折れると道が細い。あの半島に沿って左に伸びていて、五稜郭地区に向かう。
途中、一本木関門の辺りを過ぎる。
歳三は、ここら辺りで死んだとされる。
最近では、この五稜郭辺りが賑わっている。
地方都市って、そういう現象が多い。
つまり、駅とは全く関係ないところが賑わっているのだ。
会津若松も同じで、駅を降りると、とんでもなく淋しいところである。一度、去年、市長さんに言ったことがあった。
図々しいけど。
「駅前、何とかされたらいかがですか」と。
会津の市長さんは菅家さんといって、まだ40歳そこそこで若いけどヴァイタリティーがあって素晴しい人、大好きな人である。
だから、あの、僕の本をすぐ贈った。
丁寧なご返事が来た。
最大の賛辞が述べられていた。
お世辞だとしても、あの長いものを最後まで読んでいただけただけでも、驚きだ。飽き飽きしていたら、きっと読めないと思うから。

正月から、長々と書いてしまった。
家族が奥さんの実家に行っていて、朝から一人きりなので、自由に時間が使えるからだ。

今年も、文章が長くなってしまうのか。
困ったものだ。
短くて、端的にいえないものか。課題にしよう。

皆様、3日の「続編」は必ず見て、このコーナーで、江戸ツアーで語りましょう。
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コメント
ご教示ありがとうございました
『箱館から函館へ 函館古地図再現』(函館文化会)を見ますと、文政4年の地図の築島の東側は明治9年には「武蔵野清次郎」の土地になっており、現在はガソリンスタンドです。「百珍」「史実」の著者はこちらを武蔵野楼と思ったのでしょうか。
 また同書に拠りますと、山ノ上町は現在の弥生町とほぼ重なっております。
 なお、くだらないブログですがTBさせていただきました。
<(_ _)>

2006/01/06(金) 18:41 | URL | torayon #bBmFigmc[ コメントの編集]
torayonさん、貴重な情報ありがとうございます
武蔵野楼について、実は、僕も現地で、箱館市史編纂室のk氏にお会いしてお聞きしたのですが、何分にも遊郭の特定の店のことで、詳しいことはその時点ではわかりませんでした。
その後、様々調査していくうちに、山ノ上町に安政6年でしたか、通商条約を結んで1年後ですね、遊郭が許可されたと読みました。
そのときは、豊川町ではなかったようです。
ただ、山の上町が今の八幡坂や常盤坂あたりになるのかは、僕もいまひとつ自信がありません。きっと間違いないのでは、という予測の基に書いています。

そして、武蔵野楼がその坂の途中にあったのかということですが、僕の調べた範囲ではそのような記述になっていました。
でも、今回、史実や百珍では、確かに豊川町になっていますね。
う~ン、どう解釈したらよいのか。常盤坂のほうにはなかったのか、両方にあったのか、わかりませんね。
ただ、小説としては、見晴らしのよい坂の途中にさせてもらっています。
2006/01/06(金) 00:47 | URL | 村瀬彰吾 #VvKxtd/k[ コメントの編集]
武蔵野楼の場所につきまして
こんにちは。
少し時間が経ってしまったので、すでに同じような投稿がございましたらお許しください。
 私の手元には文政4年と明治9年の地図しかなく、また、古地図に遊郭などは載っておりませんので確かなことは申し上げられませんが、函館市史編纂室のHPの函館百珍と函館史実
http://www.city.hakodate.hokkaido.jp/soumu/hensan/hyakuchin/index.htm
より函館百珍第23話と函館史実第43話を読みますと、武蔵野楼は現在の豊川町にあったと書かれております。ご参照くださいませ。

2006/01/05(木) 21:33 | URL | torayon #bBmFigmc[ コメントの編集]
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2006/01/02(月) 21:53 | | #[ コメントの編集]
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武蔵野楼

 『!!』にも登場した武蔵野楼のあった場所について、村瀬彰吾氏(日野市立新選組のふるさと歴史館館長)のブログに“山の上町”とあったので、コメントさせて頂いた。 「函館百珍」と「函館史実」には豊川町と書いているのだ。 市立函館博物館特別展展示図録『士道-新撰
村瀬執筆 時代小説
プロフィール

村瀬彰吾

  • Author:村瀬彰吾
  • 2004年大河ドラマ「新選組!」の決定以来、新選組特命主幹、日野市立新選組のふるさと歴史館館長を経て芸術文化担当として歴史に触れる毎日の生活を送っている村瀬彰吾のブログへようこそ!
    日野市在住。2006年に小説「人間 土方歳三」を出版しました。小説の詳しい情報や通販はH Pに。
    サイトに関してのお問い合わせ(動作不具合など)は管理人までお願いします。
    村瀬へのメールはこちら






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